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鏝塚 諏訪市小和田甲立寺 2007.2.26

甲立寺と鏝塚 八劔神社の南に隣接して「八劔山甲立寺」があります。左写真では、こちら向きの祠はすべて甲立寺の“もの”ですが、その背中から向こうは八劔神社の境内になります。旧県社という“強社”から影響を受け易い土地柄なのか、お寺なのに御柱が建っています。以前より気になっていたので、八劔神社御渡奉告祭見学の帰りに観察してみました。

「鏝塚」甲立寺 なぜ「鰻塚」がここに? その文字を読んで真っ先に浮かんだのは、「蒲焼きにされたウナギの供養」でした。
 ところが、右にある御堂の御柱の札に「聖徳太子尊堂之御柱・諏訪左官組合」とあるのを読んで、聖徳太子は職人の守護神として信仰されているのを思い出しました。その関連で改めて見直すと、いつの間にか「魚偏」が「金偏」になっていました。これは思い込みというか完全な誤読ですが、壁などを塗る鏝(コテ)を供養した塚でした。

 考えてみると、鏝の「塚」は「墓」と同意語です。針や包丁と同じで、壊れたり摩耗して使えなくなった鏝を供養するのが鏝塚です。当然、御柱は相応しくないし、どうしても御柱を建てたければ「鏝神」とすべきでしょう。
 また、甲立寺というお寺の境内に、(御柱があるから)神として祀られている聖徳太子の御堂があるということも不思議です。しかし、ここでその疑問を力んでみても、鏝塚を始め、何にでも御柱を建ててしまう諏訪人のパワーには通用しません。