from八ヶ岳原人Home / 雑記書留メニュー /

坂室の横ずれ断層(茅野断層) 茅野市坂室 '19.8.31

御射山道

 諏訪大社上社の御射山祭では、御魂代を安置した神輿は、古来からの「御射山道」を使って酒室神社へ立ち寄ります。

御射山道 同じルートを歩くと、国道20号(現在は県道197号)に突き当たります。
 その向こう、中央の水槽の左脇を奥へ延びる小道を、私道ではないかと気をもみながら踏み入ると、すぐに右に曲がり、坂室公民館の脇を通って酒室神社の前に出ます。
 その道を古御射山道と考えると、車道と歩道の差以上に左へズレていることが不思議に見えます。

御射山道 反対側の酒室神社側から撮ったものです。ちょっとした鍵の手とも言えそうなほど食い違っています。
 この写真を撮るために久しぶりにここに立ったのですが、上水道が完備した今は見向きもされなくなった水槽に、変わらぬ水量が蕩々(とうとう)と流れ込んでいました。


↑水路(暗渠)

 自宅で「他にも同様な痕跡があるはず」とその付近を地図で眺めると、用水路があります。「もしや」とストリートビューで確認すると、道を挟んで食い違っているように見えます。
 再訪した現地で、水路を正確に背にして正面を見ると、御射山道と同じように左へズレていました。


『地理院地図』(名称等を記入して加工) 

 地図上ではその差はわずかですが、地理院地図の最大拡大図を用意しました。
 この「ズレ」が私にとっては平成18年以来の謎でしたが、令和元年になって伊藤文夫さんの講演(後述)を聴いたことで、「国道を境に、今でも地殻が動いているのではないか」との考えに至りました。冒頭の「水槽」も、断層崖によくある湧水とも見えるからです。

「プルアパートベイズン」

 6月22日に、諏訪市教育会館で「諸説 諏訪盆地の地形・温泉・御柱・文化財」と題した講演会がありました。その時に「プルアパートベイズン」という用語を耳にしました。

1)プルアパートベイズンとは、横ずれ断層の不連続部ないし屈曲部において、横ずれ断層の変位が累積することにより形成された地殻の陥没地、または地殻の空隙のこ とをいう。死海がこの好例である。

『諏訪盆地の形成』の「注」から転載

 よくわかりませんが、諏訪盆地(諏訪湖)は「プルアパートベイズンによってできた」と理解してみました。それに関連して、茅野市坂室には、(関係者以外は誰も知らないという)世界的に有名な断層があることを知りました。

「茅野断層」

 『地理院地図(電子国土Web)』で調べると、「日本の典型地形」として長野県では二例を挙げています。その一つが「茅野断層」で、「地形項目:活断層崖・定義:活断層によって生じた急崖・備考:糸魚川−静岡構造線活断層系」とありました。

茅野断層
『地理院地図』〔活断層図(一部)〕を一部加工  

 これに意気込み、「御射山道のズレは断層の横ズレによるもの!!」と鼻息を荒くして地理院地図の〔活断層図〕を参照すれば、横ずれの方向は合っていますが、断層線は国道からやや離れて走っていました。
 これでは、私が唱える「国道を挟んで」は無効となります。ところが、断層線が中央部を通過している凹地が、「左右対称」という不自然な地形であることに気が付きました。しかし、地理院に異義を申し立てるのも面倒なので、私の仮説は一時棚上げとしました。

茅野市坂室
第5図茅野市坂室付近の地形面区分と地の断層(部分)  

 8月に入り、講演会で紹介された藤森孝俊著『活断層からみたプルアパートベイズンとしての諏訪盆地の形成』(※以降『諏訪盆地の形成』)をダウンロードしてみました。
 〔X. 断層変位地形の記載と変異様式・変位速度〕から[1.茅野市坂室]にある添付図を見ると、地理院の地図とは異なったラインです。
 ここでは凹地の縁(へり)を通過しているので、理に叶っています。私は「こちらが正しい」として、再び出発進行となりました。

茅野断層と坂室断層は直線

 衛星(航空)写真では、木々や建物があって高低差がわかりません。何かないかと『国土地理院』にすがると、色が濃いほど急傾斜とある〔傾斜量図〕がありました。

茅野断層「傾斜量図」
『地理院地図』から傾斜量図を転載  

 左上に赤くマーキングした黒い線は、蟹河原(がにかわら)遺跡から葛井神社の先まで見られる、いつかは『ブラタモリ』に取り上げて欲しいと思うほど顕著に見られる断層崖です。
 一方、右下の内にある左右の尾根は(現在は)弓振川が分断しています。しかし、二次元の目で見れば宮川と同じく上流側にさかのぼったS字状の流れですから、断層によって流路を絶たれた結果の新しい流れと言えます。また、東西(左右)の地形を広域で比較しても、まったくの別物とわかります。
 それ故に、断層線がその間を走っているとピンポイントでわかる場所となります。その双方を結ぶと、断層崖のラインと直線で重なりました。

茅野断層 そこで「断層線は直線で間違いない」とし、そのラインに沿って“令和の横ずれ大断層”を発生させ、元に戻すことにしました。
 その前に、私の都合に合わせて動かしたと言われないように、『諏訪盆地の形成』がシミュレートした左図「550m右に戻したとき(約65,000〜55,000年前)」を転載しました(上図)

茅野断層「傾斜量図」 左図は、断層線[]でカットした右側部分を、シミュレート図のAとDの尾根が繋がる位置までずらせた、つまり、断層が起こる前に戻したものです。
 改めて眺めると、断層によって大きく蛇行した宮川は別として不合理な地形のつなぎ目はありません。また、内は地形が、内のつなぎ目は標高が一致しています。

茅野断層
『地理院地図』を加工  

 これを踏まえて、通常の地図に私が想定した直線の断層線を引いたのが、左図です。
 国道上とはなりませんが、断層の横ズレに沿って開削したのが旧甲州街道。それを直線化したのが国道と考えれば、(何とか)説明できます。

御射山道 改めて冒頭の写真を見直すと、物置状の建物だけが不自然に道路側に飛び出ているのがわかります。
 そうなると、側溝が断層線の名残とも見えますが、雨水が国道へ流れ出るのを防ぐ役割とするのが現実的でしょう。

現在も動いているのか

 『諏訪盆地の形成』の一部です。文中の記号は前出の添付図に対応しますが、参照しづらいので、マークした部分だけ読んで下さい。

 約13,000〜10,000年前の地形を復元した第6図-Aでは、Jの谷や面D、面Eの狭長な地形の成因が説明できないなどの問題が残る。そこで、坂室周辺の地形をさらに右にずらしてみる。約550m右にずらす(500〜600mの範囲でかなり一致するが、ここでは最も連続性のよくなる550mで連続させた)と、第6図-Bのように1とJ、および弓振川とKがほぼ連続するようになる。また面Dの狭長な地形も1-Jと弓振川-Kの2つの河谷に挟まれ、面Aに連続するかたちで形成されたと考えられる。このときは面B、面Eは形成されておらず、面Dのみ離水している必要がある。したがってこの年代は65,000〜55,000年前で、それ以後500〜600mの左横ずれ変位があったものと考えられる。平均変位速度は8.0〜10.9m/kyrと計算される。
 以上の2地点より茅野断層の左横ずれの平均変位速度は8〜10m/kyrと考えられる。

 ここでは変位速度とあるので、千年で9mなら百年で90cm・十年で9cm・一年で9mmと順に暗算してみました。この変位量で現在も動いているとすれば、江戸時代から変わらぬ御射山道とのズレが容易に説明できます。

水準点

 御射山道の直近に流れる弓振川の近くに一等水準点があります。埋もれていて確認できないので、『国土地理院』のサイトで調べてみました。

北緯35°58′46″.0015
東経138°09′58″.5791
標高807.3850m

 「成果品質/1970年以降観測されている」が不明ですが、1970年に設置したと理解しました。それから40年近く経っているので、スマホで測定すれば「ズレがわかるかもしれない」と考えました。しかし、スマホ搭載のGPSでは精度が問題、というより[″(秒)]までしか表示しません。計算では36cm動いていることになりますが、誤差の範囲に入ってしまうので諦めました。

 この断層線上を中央自動車道が横切っていますから、現在はその動きを止めているのでしょう。それを前提として、これ以上、知る人には不安を与えるような“詮索”をするのは止めることにしました。

「D尾根−A尾根」仲を取り持つ旧国道

茅野断層「D-A」

 茅野断層の中で横にズレたものが坂室の断層と言えますが、ここでは宮川に架かる坂室橋から茅野市街側を見た、旧国道を挟んだ「D・A」の尾根を撮ってみました。その間が約550mと言うより、「Aが橋の向こう側で、Dに繋がる尾根だった」ことになります

 私事ですが、振り返ってみれば、この断層線上を四十年も知らずに通勤していたことになりました。