「横谷観音入口」の標識に従うと、直ぐにトイレ・休憩所が完備した駐車場に着きます。そこからは、車道・遊歩道のどちらを選んでも5分内外で展望台がある広場に出ます。
広場と言うか境内とするかは迷うところですが、その隅に観音堂がありました。
ここへは標題の「横谷観音」で来ましたが、案内板を読んで、正式な名称が「横谷聖観世音菩薩立像」と知りました。さっそく拝観としましたが、目が慣れてくると、観音像が足元から蓮華台座にかけて白く変色していることに気が付きました。この時は、外光の反射と頷いて観音堂を後にしました。
その後、『糸萱区誌』で「伊勢湾台風で覆屋の損傷があった」ことを読み、一時は風雨にさらされた時期があったと合点しました。
今回は舟石探訪がメインだったので、案内板「横谷観音由来」をメモ代わりの写真に撮ることを忘れてしまいました。「さて、どうしようか」とネットで検索すると、都合よく全文をテキスト化したものが載っています。
通常、案内板などの文言は文字に変換するのが面倒なので、写真で代用します。私は“テキスト化派”なので、「これはありがたい」と、早速“コピペ”の恩恵に与(あずか)りました。ところが、モニター上の文字を読んでみると、明らかな誤字や意味不明の語句が数箇所に渡って見られます。
再検索すると、多くのブログがテキスト文で紹介しています。不思議に思いながら読んでみると、完全に同一の文言です。これで、一番初めにアップした人の「間違った由来」が、コピペの連鎖でネット上に定着してしまったことがわかりました。
後日手に入れたのが、“オリジナル”の案内板です。
これを読むと、なお意味不明な文言(━)が見られます。その後、案内板の『由来』は『糸萱区誌』から引用したものとわかり、私の注釈(◯◯)を加えて転載ました。
案内板と同一の『由来』を読むと、「正気(せいき)」は、「精気」または「生気」にした方が私の好みに合います。それは表現の綾としても、ただ一つ気になるのが「芳樹」です。「芳(香)しい木」では意味が通りませんから、(勝手に)「奉受」の誤記だと断定しました。「市ノ瀬源助」も(ネットの調査ですが)「市瀬(いちのせ)源助」と確定しました。
いつもの習いで案内板と『区誌』を突っついてしまいましたが、観音様ではなく「由来」の方なので構わないでしょう。
以下は、前記の後に続く文です。
横谷観音は、昭和十年代という時代だったからこそ造立できたのでしょう。私は、つい「元中将の肩書きを持つ人の発案に、懐豊かな財産区が節税対策で乗った」と偏見の目で捉えてしまいました。