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若松寺と「むかさり絵馬」 山形県天童市 山元

 長年「むかさり絵馬」を見たいと願ってきましたが、来年は「後期高齢者」と呼ばれてしまう私です。「今しか無い」として、東北車中泊一人旅を決行しました。
 その絵馬の説明を、サイト『若松寺 JAKUSHOJI』〔むかさり絵馬の奉納〕から転載しました。ご存じの方はスルーしてください。

むかさり絵馬

 江戸時代より最上川沿い(最上地方)に伝わるあの世での結婚式の絵馬の事。

 交通事故・戦争・病気・水子等の理由で結婚せず亡くなった子のため、親や兄弟又は親戚の者が描き、供養する。しかし、最近は絵馬師に依頼する方も多く、合成写真も現れた。勿論相手は架空の人物で、せめて来世で幸福になってほしい。そして、今度は健康で長寿をまっとうできる人として生まれ変わるように・・・という親の深い願いが込められている。
 又、昭和以前の絵馬は、現世で果たせなかった夢を描いたものが数多く残っていて、観音堂が重要文化財に指定される迄、御堂の四面に重なるように掛けられていた。その後、元三大師堂下に安置、昭和六十三年絵馬堂を建立し、絵馬を修復し整理した。

 現在は約千三百体以上あり、近年供養中の絵馬は本坊(祈祷所)に安置する。

鈴立山若松寺(れいりゅうさん じゃくしょうじ) 2022.10.24

■ 「〜むかさり」では読みにくくなるので、カタカナで表記しました。
若松寺から天童市
若松寺境内から天童市の眺望

 日本最古とされる「最上の三鳥居」を追う中で、「めでためでたの若松さまよ」で知られる若松寺に寄りました。地図の印象とは異なり、結構な山奥でした。

若松寺「地蔵堂」 観音堂へ向かう道中にある、子育地蔵尊を安置した地蔵堂です。その前に立つと、真っ先に黒光りしたトルソ(子育てのお乳さま)が目に入り、脇の「お乳さま/ふれれば/お子さまよく育つ」を読むことになります。
 男がジーッと見詰めるのは憚(はばか)れましたから、この写真を載せる時に、お腹に「帽子を被った小さな子供」が座っていることに初めて気が付きました。現代アートと思われますが、「谷間を見下ろす」構図をどう解釈してよいのかわかりません。
 厨子の両脇に、乳房を模(かたど)った絵馬が掛かっています。結構リアルに見えるので、自分が男であることを強く意識してしまいます。背後に誰もいないのを確認してから撮影し、早々に立ち去りました。

若松寺観音堂

 若松寺観音堂です。建物とともに「板絵著色神馬図」や「金銅聖観音像懸仏」が国の重要文化財に指定されていますが、それよりムカサリ絵馬です。ところが、堂内の何処にも見当たらなく、参拝者の流れもムカサリ絵馬を求めている様子が見られません。「なぜだ」と境内の諸堂を巡りますが、何れも空振りという結果に終わりました。
 このような時に重宝するのがスマホですが、圏外とあって調べることができません。実は、若松寺以外にも絵馬は奉納されており、それとの勘違いという恐れがあります。何より、ムカサリ絵馬には「表だって口に出してはいけない」とのイメージがあるので、ここでは訊きにくい状況です。一旦下山し、残りの鳥居を先に見学することにしました。

ムカサリ絵馬

 ネットで確かめると、若松寺で間違いありません。再び山中に分け入り、得た情報を元に本坊へ向かいます。御守りや朱印を求める人を脇にして「ムカサリ絵馬を拝観したい」と申し出ると、アッサリと堂内に上げてくれました。
 壁には、おびただしい絵馬が掛けてあります。順に拝観していく中でしだいにこみ上げてくるものがあり、寺の関係者に話し掛けた時には(調子悪いことに)涙声になってしまいました。

 撮影不可は現在供養中であることに因るものですが、絵馬堂では自由と聞きました。その前に立つと、言わば「資料館の上に元三大師堂を移築した」建物です。看板には「四国八十八ヶ所分霊場・むかさり絵馬展示」とありますが、小さな字なのでまったく気がつきませんでした。
 「入っていいのだろうか」と遠慮がちにサッシの戸を開けると、堂内は無人でひっそりとしています。

若松寺「ムカサリ絵馬堂」

ムカサリ絵馬 一階は元三大師関連の資料を展示していますが、メインは壁面に掛かっているムカサリ絵馬です。明治から最近のものまでが混在していますが、見ての通りなので、主観が入る説明は控えました。因みに、左方にあるのは算額でした。

ムカサリ絵馬
(格子戸の映り込みがあります)

 二つ上の写真では上段右端にある絵馬に、「文久二年(1862)」を見ました。両人とも着物姿ですが、男性がいわゆるシャッポを被り、女性はパラソルを提げています。幕末にこの風俗はあったのかと不思議でしたが、若松寺に奉納された最古の絵馬と位置付けました。
 本坊を含めた絵馬の拝観ですが、結構長い時間居続けたのに、私の後に続く者が一人としていないことが不思議でした。ムカサリ絵馬は、私のような人間が尊ぶだけで、意外とマイナーな存在かもしれません。

 「文久二年」を自宅で拡大すると、その四文字だけがマジックインキのような書体です。後から書き入れた可能性がありますが、それを没年とすれば、この絵馬を奉納した当時(明治以降)に流行していたファッションを描いたものと説明できます。

ムカサリ

 サイト『名取市観光物産協会』に〔なとりのむかしばなし〕があるので、[“ムカサリ”と“かがり火”(※ママ)]を読んでみました。出典を明記していませんが、「…お嫁さんをもらうことになり…(*)ムカサリと馬車引きは明るいうちに入る…ムカサリ一行が…」とあり、脚注に「(*)ムカサリ・・・嫁入りする」を挙げています。
 文脈からズバリ「ムカサリ→嫁入り」と書き換えることができますから、ムカサリ絵馬は、表現のバリエーションはあっても「若くして亡くなった男性の仮想結婚を描いた絵馬」が基本とすることができます。