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空蝉(うつせみ)の哀れ 2002.8.16

空蝉 諏訪大社前宮で、背中が一部割れてヒスイ色の体が見える羽化中のセミを見つけました。しばらく時間をつぶしましたが全く進行していません。「この分なら」と別の用事を済ませて戻りましたが時間は止まったままです。今日はこれまでと家に戻りました。
 その夜、インターネットで調べると、羽化するのは夜と分かりました。ようやくビールにありつける楽しみも吹っ飛び、あわててカメラを持って前宮に駆けつけました。羽化の姿を想像しながら…。
 しかし、その姿は不動のままでした。悩みましたが家へ持ち帰り庭の切り株に引っかけました。10時頃、懐中電灯の明かりに浮かんだのは、無数のアリにたかられているおぞましい姿でした。今度はシャクナゲの枝に引っかけましたが、寝る前も相変わらずでした。

空蝉 今朝は休みとあって、目覚ましの4時半の起きろには素直に従うことができました。すでに飛び立っていたら諦めようとの寛大な心も「全く関係ないよ」の姿。今度は部屋のカーテンに引っかけました。そんな繰り返し中で、尖ったお尻の先で支点を確保し手足で横方向を支える羽化の体勢に納得しました。そんなに感心されても、と相変わらずつれない裏切られの繰り返しの果てに気が付いたのは、写真の空蝉・寄生虫に半分食われた衝撃の姿でした。

 双六(すごろく)で言えば上がりの瞬間、人間なら何に当たるのでしょう。例えるものが無いほどの人生最大の至福。セミはそれを迎える瞬間に背中の一部をさらしただけで日の目を見ることができませんでした。どこで出会ったのか分かりませんが、長年連れ添った寄生虫が最後の最後で宿主を出し抜き、代わって目に点を入れることができた二心同体の相棒は窓から逃げたのか見つかりませんでした。
 セミの羽化場所を変更するときにはお尻というか腹が動きました。しかし、今思えば、アリはひん死の状態を知っていたのでしょう。羽化を止められ半分食いちぎられながらも羽化の体勢をとろうとするセミに、映画「エイリアン」が重なりました。